北京オリンピック、ジャマイカの陸上選手のドーピング問題について思うことです。

 

まずは、なぜこのタイミングでないと発覚しなかったのかとは思いますが、今後のオリンピックの
ことを考えると、後からでも発覚するという事実がドーピングの抑止につながってほしいと思います。

ドーピング検査の方法や行うタイミングなどの問題から、大会後に時間がたってから発覚するのかな
と思いますが、あとからドーピングによって順位が繰り上がりメダルの色が変わったと知らされる
選手の気持ちを考えると、後味の悪いものだと感じます。

 

選手が、大会当日に感じた感動や高揚感はその一瞬の中にこそあるもので、それはメダルの色が何か
ということ以上に、本人が体験からしか得られることのできず、後から味わうこともできない価値の
あるものだと思うので、後から銅メダルが銀メダルになりましたと言われても、そこに喜びを感じる
ことは難しいのではないかと思います。

オリンピックは、精神と肉体の可能性を突き詰め類まれなレベルにまで高めた人同士が競い合うこと
に価値があり、当事者である選手はもちろん、応援する人たちも競い合いの中でこそ発揮できる力、
体験できる感動などに期待して参加しているもので、結果だけでなく過程にも価値があり、その場で
しか生まれない感動に価値があると思います。

選手がフェアな条件のもとに競い合っているという前提条件があるからこそ、どんな結果になるのか
わからない期待や不安も含めて注目が集まるのではないでしょうか。

 

それがドーピングという行為があると、人間が自分の精神と肉体の可能性を突き詰めて競い合うと
いう前提条件は崩れ去ってしまいます。
過去にもドーピングは何度も問題になっていますが、それでも見る側はどこかでフェアな条件の
もと競い合っている、そうであってほしいという期待を込めてオリンピックはもちろん、スポーツ
を応援していると思います。

しかし、『どうせドーピングをしているんだろ』という意識でとらえる人が増えてくると、そこに
期待と不安でドキドキしながらスポーツを見るという価値がなくなってしまいます。
そうなってしまうと、スポーツを見る人が減り、当然スポンサーも資金を援助する価値は感じなく
なり、スポーツが衰退してしまいます。

 

 

スポーツをする人も、それを見る人にとっても、白けてしまうという心理状態を味わせてしまう
ことは価値を落としてしまう大きな要因になると思うのです。

心理的体験というものは非常に重要で、スポーツなどはそれを得るために多くの人が注目して
いるものの一つだと思います。
それが、最終的に白けされられてしまうものになってしまうと、スポーツに対する興味、関心は
薄れて行ってしまうでしょう。

 

経済という観点から考えても、人は信用に対してお金を払います。
フェアに競い合っているという信用があるから、人はお金を払ってスポーツを見に行き、企業も
スポンサーになるのです。
そのスポーツの信用を選手自身が落としてしまうというのは、自分たちがスポーツを通じて生活
できるという環境を壊している行為でもあるのです。

 

アスリートは、ドーピングはフェアではないし、体にも害があるものだということは教わって
いると思いますが、その延長線上にはスポーツの価値を落として、スポーツを仕事として生活
していく土壌を削ってしまう行為でもあると認識が必要なのではないかと思います。

今回のジャマイカの選手のドーピングの発覚が、2020年の東京オリンピックでの選手の意識
の変化につながり、ドーピングのない大会になることを願っています。