私は、体罰という体にダメージを与えることで指導者側の言い分を伝えるという
行為は、すべきでないと思っていますが、指導の際手をあげたことのある指導者
の意思が間違っている場合ばかりではないというのも現実です。

手段は別として、指導者に伝えるべきこと、伝えたいことというものがあり、
それが指導を受ける側の成長にとって必要であれば、それを伝えようとした
意思は批判できるものではないと思います。

体罰があると、手をあげてしまったものの行動にばかり視点が向きやすいですが、
その行動を誘発した側の態度や行動について考えてみなければいけない場合も
あるでしょう。

 

学校や少年のスポーツ指導の現場では、子供が非常識な態度を取っている場合も
あると思います。
もちろん、だからと言って体罰が仕方がないということにはなりませんが、子供
の態度や行動は大別の問題とは別に、なぜそういうことをしたのかを子供に考え
させたり、必要があれば反省を促さなければならないと思うのです。

体罰の陰に子供の態度や行動の是非が問われなくなってしまうと、本来その態度
や行動を反省し、成長しなければならなかった子供の機会というものは損なわれて
しまう可能性があります。

そのため、昔に比べて体罰ということについての注目が高まっている中で、親の
意識というものが大切になって来て、子供に対して責任を持って自分を取り巻く
社会と付き合ってための姿勢や心構えを教育していく必要があると思います。

学校やスポーツ指導の現場に、子供たちにとって怖い人がいて、親だけでは
行き届かない部分の指導を行ってくれていて、その熱意の中で手をあげていた
という現状があるのも確かで、その手をあげるという行為が指導の現場から
なくなる以上に、親が自分の子供の社会性を育むために努力が必要になって
行くと思います。

私も子育て中の親ですが、そういった自覚を持って子供が社会性を育めるよう
接していかなければならないと思っています。