スポーツで罰を与えることが望ましくない理由
スポーツの練習では、『罰』として厳しい練習メニューを課されることがあります。
指導者にとって、罰は効果的に選手の行動を促すことができる方法であるため、年齢の低いカテゴリーになるほど、多用されているのではないかと思います。
剣道なら声が出ていなければ素振り500本とか、野球ならエラーをしたらグランド3週とか、バスケならシュートを外したらスクワット100回など、罰与えることで声を出したり、飛んでくるボールやシュートを打つ際に集中するようにしようという動機付を行う方法は、さまざまな競技の指導の現場で見受けられると思います。
効果的に思われ、即効性ある罰による行動の促進は、短期間で選手を強化するにはある意味成果が出やすい方法なのかも知れませんが、私は長期的に見た時に罰によって行動を促すことを多用することは弊害があると思います。
罰による悪影響
まず、わかりやすい弊害は、罰を恐れ、指導者の顔色を見て、指導者がいる時だけは一生懸命練習しているフリをしたり、罰を受けないように思い切ったプレーすることを躊躇するようになるという点です。
競技面では、このようなわかりやすい弊害が生まれますが、私が多くのアスリートの相談を聴いていて感じる弊害は引退後に表れています。
それはどういうことかというと、スポーツをする環境の中では、罰というある意味では行動を起こす
ための動機があるのですが、罰による動機は明確な指示でもあるため、行動するために自分が何をしたらいいかを考えなくてもいいという側面あって、競技生活を引退するとコーチのような立場でどのように行動したらいいかを示してくれる人がいなくなるため、セカンドキャリアをどう生きていけばいいかわからなくなってしまうという弊害です。
人間は、自分の内的動機という興味や関心、欲求を行動を起こすためのエネルギーによって自分の行動する方が、その行動を楽しく、充実感を感じながら継続できるのですが、罰や命令、危機への対処などは、外的動機といって他人や状況によって行動が促されるものなので、外的動機がない状態では行動が生まれにくいのです。
スポーツで指導を受ける中で、あまりにも罰によって行動を促される機会が多かった場合、脳が行動をする時は外的動機がある時だと勘違いしてしまいます。
そのため、外的動機がない時にはどう行動していいかが分からず、やる気もわいてきません。
子供の頃から自分の内的動機を確認しながらスポーツを行うことはとても大切で、スポーツをするならその習慣を身に付けられなければ意味がないと私は思っています。
指導者の役割は選手に良い習慣を身につけさせること
人生でいつまでも自分が取り組んでいる競技のコーチが外的動機を与え続けてくれるわけではありません。
プロやプロに近い環境で競技をするレベルになるほど、いつかは引退によって生活が大きく変わるため、その時に自分の内的動機に意識を向けてセカンドキャリアを確立していくためには、子供の頃に親やスポーツ、その他習い事を教える大人たちから内的動機を刺激してもらっていた経験があることが望ましいと言えます。
指導者にとって、罰を与えて指導をすることは、指示を聴かせるには効果的かつ効率的な方法なのかもしれませんが、指導とは、指導を受ける側にとってどのような習慣が身につくのかが重要なので、自分の内的動機を自覚して行動する習慣を奪わないように配慮していくことが望まれると考えています。
子供たちは大人になっていくので、指導者は子供たちが大人になる課程の中で自分の内的動機と向き合いながら行動するきっかけを与えてほしいと思います。
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